昨日2016/03/21(月)は、1988年の青函トンネル開業時から青森~札幌間を結び続けてきた「急行はまなす」の最終運行が行われました。
私は一部始終を見送るべく、駆けまわっていました。
朝は青森行きの最終運行。顔をじっくり見ていたかったので、この場所で出迎えました。
いつも以上に力強くやってきた急行はまなすが「ピッ!」と軽い汽笛をくれた時、なんというか報われたような気持ちになり、最後尾が見えなくなるまで見送っていました。
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JR津軽線 瀬辺地-蟹田間 (瀬辺地駅から北へすぐの踏切より)
Canon EOS-1D X + Zeiss Tele-Tessar T* 4/300 MMJ (8%クロップ)
1/250sec F4 ISO2000
2016.03.21
そして青森駅からの回送を青森車両センターでお出迎え。
上りの務めを果たした急行はまなすは、青森車両センターへ入りしばしの休息へ…出番を待つ同僚との賑やかなひとときも、この時が最後となりました。
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JR東日本 青森車両センター
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (70mm)
1/400sec F4 ISO400
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Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/320sec F5.6 ISO800
そして後からやってくる機関車もお出迎え。実はこの日は重連でした。
急行はまなすが重連になる時は「別列車の牽引のための送り込み」や「機関車の回送」といった目的を兼ねて行われますが、最終運行時は特にそういったものがなかったため、純粋な計らいと思われます。
最後の最後の晴れ姿、実に堂々としていました。
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JR津軽線 青森-青森車両センター間 (千刈踏切)
Canon EOS-1D X + EF 70-200mm F4L IS USM (70mm)
1/500sec F6.3 ISO200
そして夜、札幌行きの最終運行の時へ。
青森駅への入線。ゆっくりながら力強く青森駅へ入っていきました。
青森駅へのエスコートはデーテンが担当していましたが、最終運行をもって彼が急行はまなすをエスコートする光景も見られなくなりました。
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JR津軽線 青森-青森車両センター間
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/10sec F3.2 ISO1600
青森駅の改札口に浮かぶ「急行はまなす」の表示。見収めとなりました。
そして青森駅から定期運行の夜行長距離列車がなくなった時でもありました。
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JR津軽線 青森駅
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (35mm)
1/15sec F5.6 ISO400
青森駅の跨線橋では、発車案内を金魚ねぶたが彩りました。
ねぶたといえば夏の風物詩。ねぶた囃子が聞こえてきたような気がして足を止めていました。
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Canon EOS-1D X + EF 70-200mm F4L IS USM (200mm)
1/8sec F9 ISO1000
いよいよ発車の時。
急行はまなすの発車時に行われた「急行はまなす ラストラン 28年間 ありがとう」横断幕の掲出。いやがおうでも最後ということを実感させられました。
この後「津軽海峡冬景色」が添えられて青森駅から最後の旅立ちとなりました。
そして、翌03/22(火)の早朝、無事終着の札幌駅までたどり着き使命を終えました。
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Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/25sec F4 ISO800
---
私が急行はまなすに初めて乗ったのは2008年の北海道旅行の時だったと記憶しています。
その時は自由席への乗車で、便利な足とは思ったもののいかんせん寝られず、それほど良い印象はありませんでした(そして強い印象もありませんでした)。
次の乗車が2011年7月23日の富良野・道東旅行の時でした。
前回の乗車の反省で指定席を確保しようとしていましたが、なかなか確保できませんでした。
直前の07/20(水)にドリームカーが取れホッとしながら当日07/23(土)の夕刻発車の「はやて177号」(当時は東日本大震災の特別ダイヤでした)にて青森へ向かいました。
当初は旅費の低減のため青森までを鈍行で入ることを考えていましたが、生憎の仕事かつ富良野のラベンダーの開花状況を考えると後ろにずらせない、という判断で新幹線となりました。
新青森駅はその時が初訪問でしたが、特に興味もなく青森駅へ向かい、急行はまなすを待っていました。(ただ、新青森駅に降り立った時はなんとなく何度か来るかも…という感覚はありました。移住することになるとまでは分かりませんでしたが。)
その時にここで書いた様な出会いと経験があり…今に至るわけです。
この時の急行はまなすは、まさに人生を変えた出来事の舞台となったのでした。
急行はまなすは走らなくなりましたが、実感はありません。
またあの時に出会いたくて札幌行きの急行はまなすを幾度も待ちましたし見送りましたが、おかげで映像などなくても、写真などなくてもその時の様子を常に感じていられるような不思議な感覚すらあります。
思い出の回想ならばいつでも会えるでしょうから、これからも時々は急行はまなすの入線~発車時刻まで青森駅で待っていると思います。
私は一部始終を見送るべく、駆けまわっていました。
朝は青森行きの最終運行。顔をじっくり見ていたかったので、この場所で出迎えました。
いつも以上に力強くやってきた急行はまなすが「ピッ!」と軽い汽笛をくれた時、なんというか報われたような気持ちになり、最後尾が見えなくなるまで見送っていました。

JR津軽線 瀬辺地-蟹田間 (瀬辺地駅から北へすぐの踏切より)
Canon EOS-1D X + Zeiss Tele-Tessar T* 4/300 MMJ (8%クロップ)
1/250sec F4 ISO2000
2016.03.21
そして青森駅からの回送を青森車両センターでお出迎え。
上りの務めを果たした急行はまなすは、青森車両センターへ入りしばしの休息へ…出番を待つ同僚との賑やかなひとときも、この時が最後となりました。

JR東日本 青森車両センター
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (70mm)
1/400sec F4 ISO400

Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/320sec F5.6 ISO800
そして後からやってくる機関車もお出迎え。実はこの日は重連でした。
急行はまなすが重連になる時は「別列車の牽引のための送り込み」や「機関車の回送」といった目的を兼ねて行われますが、最終運行時は特にそういったものがなかったため、純粋な計らいと思われます。
最後の最後の晴れ姿、実に堂々としていました。

JR津軽線 青森-青森車両センター間 (千刈踏切)
Canon EOS-1D X + EF 70-200mm F4L IS USM (70mm)
1/500sec F6.3 ISO200
そして夜、札幌行きの最終運行の時へ。
青森駅への入線。ゆっくりながら力強く青森駅へ入っていきました。
青森駅へのエスコートはデーテンが担当していましたが、最終運行をもって彼が急行はまなすをエスコートする光景も見られなくなりました。

JR津軽線 青森-青森車両センター間
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/10sec F3.2 ISO1600
青森駅の改札口に浮かぶ「急行はまなす」の表示。見収めとなりました。
そして青森駅から定期運行の夜行長距離列車がなくなった時でもありました。

JR津軽線 青森駅
Canon EOS-1D X + Tamron A007 (35mm)
1/15sec F5.6 ISO400
青森駅の跨線橋では、発車案内を金魚ねぶたが彩りました。
ねぶたといえば夏の風物詩。ねぶた囃子が聞こえてきたような気がして足を止めていました。

Canon EOS-1D X + EF 70-200mm F4L IS USM (200mm)
1/8sec F9 ISO1000
いよいよ発車の時。
急行はまなすの発車時に行われた「急行はまなす ラストラン 28年間 ありがとう」横断幕の掲出。いやがおうでも最後ということを実感させられました。
この後「津軽海峡冬景色」が添えられて青森駅から最後の旅立ちとなりました。
そして、翌03/22(火)の早朝、無事終着の札幌駅までたどり着き使命を終えました。

Canon EOS-1D X + Tamron A007 (24mm)
1/25sec F4 ISO800
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私が急行はまなすに初めて乗ったのは2008年の北海道旅行の時だったと記憶しています。
その時は自由席への乗車で、便利な足とは思ったもののいかんせん寝られず、それほど良い印象はありませんでした(そして強い印象もありませんでした)。
次の乗車が2011年7月23日の富良野・道東旅行の時でした。
前回の乗車の反省で指定席を確保しようとしていましたが、なかなか確保できませんでした。
直前の07/20(水)にドリームカーが取れホッとしながら当日07/23(土)の夕刻発車の「はやて177号」(当時は東日本大震災の特別ダイヤでした)にて青森へ向かいました。
当初は旅費の低減のため青森までを鈍行で入ることを考えていましたが、生憎の仕事かつ富良野のラベンダーの開花状況を考えると後ろにずらせない、という判断で新幹線となりました。
新青森駅はその時が初訪問でしたが、特に興味もなく青森駅へ向かい、急行はまなすを待っていました。(ただ、新青森駅に降り立った時はなんとなく何度か来るかも…という感覚はありました。移住することになるとまでは分かりませんでしたが。)
その時にここで書いた様な出会いと経験があり…今に至るわけです。
この時の急行はまなすは、まさに人生を変えた出来事の舞台となったのでした。
急行はまなすは走らなくなりましたが、実感はありません。
またあの時に出会いたくて札幌行きの急行はまなすを幾度も待ちましたし見送りましたが、おかげで映像などなくても、写真などなくてもその時の様子を常に感じていられるような不思議な感覚すらあります。
思い出の回想ならばいつでも会えるでしょうから、これからも時々は急行はまなすの入線~発車時刻まで青森駅で待っていると思います。